イルベル・オルタイルの講演会とB大学同窓会会合

 トルコから、文化庁の招へいで、
著名な歴史学者イルベル・オルタイル氏が来日していて、
上野の東京国立博物館で講演会があるとのことだった。
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 B大学同窓会で、この講演会にあわせて今月の会合をやろうということになった。
そもそもはこの間トルコに帰ってしまったBuさんの発案だったのだけど…。

 東京国立博物館の場所を知らない人もいるだろうからと
JRの上野駅で待ち合わせ。
14人+αの参加とのことだったけど、
風邪が流行っているらしく、今朝になって来れないという人がちらほら。
もちろん、まったく連絡なしで来ない人も(まあ、トルコ人らしいと言えば
トルコ人らしいのだけど、長いこと日本に住んでてもそれが直らない人っているんだなあ。)。

 幹事ははらはら。
今日の計画では、講演会の後、某ファミレスでご飯を食べながら
同窓会の会合ってことだったのだけど、休日なので席を予約したらしい。
「予約した人数が集まらなかったらその分お金を払わなきゃならないって
お店の人に言われちゃってる。」とのこと。
ん~。お店からしたらそうだよねえ…。
幹事はお店に電話して、予約の人数を10人に変更してもらっていた。

 そのあと、8人で博物館へ移動。
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最後にこの博物館に来たのっていつだったかなあ…。
こんな立派だったっけ。知らなかった。

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 イルベル・オルタイルの本は、トルコで学生だったとき
課題として読んだ覚えがある。
オスマン史の専門家。
びっくりするほどたくさんの言葉を解することでも有名な人
(トルコ語(オスマン語も)、タタール語、アラビア語、ペルシャ語、
ドイツ語、フランス語、イタリア語、ラテン語、ギリシャ語、ロシア語、
スロバキア語、ルーマニア語、セルビア語、クロアチア語…!!!)
 第2次世界大戦直後にオーストリアの難民キャンプで
クリミアのタタール人の子として生まれたという経歴からかなあ…。
ロシア語とかスラブ系の言葉は家庭で覚えたのかもしれない…。
2歳でイスタンブルに移住したらしい。
大学教育はアンカラ大学政治学部、シカゴ大とウィーン大。
今日の講演は英語で、日本語の同時通訳がついていた。
 そういえば大昔、イスタンブルで講演会に一回だけ行ったことがあったなあ…。
急に顔をみて思い出した。

 その後、トプカプ宮殿博物館の館長さんになったそうで、
今回の講演もタイトルが「トルコにおける日本:芸術と日土交流」
ということだったせいか、トプカプ宮殿の内部の説明や、
日本に関する展示なんかにも触れていた。
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 私みたいな一般の聴衆に(中にはトルコのことを全く知らない人もいるみたいだったし)
日本となんらかしら関連付けながら話をするというのは
結構大変だっただろうなあ…。
せっかくオスマン史の専門家なのに、専門とはあまり関係のないような
話もしなければならない感じになっていて、とても残念な感じがした。

 特に、残念だったのは、最後のQ&Aの時間に、
「先日トルコに旅行に行ってトルコ石のアクセサリーを1万円ぐらいで買ったのですが、
帰ってきて日本の宝石商に見せたら、偽物だと言われました。このことについて
どのように思われますか。」などというおかしな質問をしている人がいたり…。

 それでも、さすがにオスマン史の先生だけあって、
私のような素人には面白い話もあった。
 トプカプ宮殿に住んでいたスルタンの部屋や
そのハレムにあるお妃たちの部屋をみても、非常に小さい部屋で
(ヨーロッパの王侯貴族の宮殿と比較して)、
基本的に、スルタンもお妃たちも、一人か数人で食事していたらしいとのことで、
日常生活はある意味質素だったとか。
 それは、そもそもオスマン朝というのは軍事国家で、
スルタン自身も長いこと遠征を中心とした生活をしていたことを理由に挙げながら、
軍の兵舎やジャーミーといった施設は大規模で立派なものが多いけれど、
宮殿はそれほど大規模なわけでも贅を尽くしたというわけでもなかったと
説明していた。
 「ヨーロッパの王族の宮殿みたいな何百人ものゲストをもてなすための
大広間とかトプカプ宮殿にはなかったんです。その後、だんだん西欧化が進んできて、
ヨーロッパみたいに外国の大使とかなんとかを招いて宴を持たなければ
ならなくなって、ドルマバフチェ宮殿とかに移ったわけです。」
へ~。

 ハレムの生活も、あまりよく理解されていないとオルタイル氏は言っていた。
ハレムの住人はもちろん見目麗しい人たちだったけど、それだけではなく
読み書きもできたし、詩を作ったり、料理や手芸、といった様々な淑女のたしなみを
習得した教養の高い集団だったとの説明だった。
ん~。大奥みたいなものだったのかねえ。
 ハレムというと、どうしても何となく淫靡な想像をしてあれこれいう人たちがいるけれど
(暗に「オリエンタリズム」をさしているらしい。)、それは酷い誤解だとのこと。

 「ビザンツ」という言葉は、ドイツ語で、イスタンブルがオスマン朝に「征服」
された後にできた呼び名で、いわゆる「ビザンツ」時代にイスタンブルに住んでいた
人たちは、自分たちを「ビザンツ」とは呼んでいなかった、
あくまでも自分たちを「ローマ人(東ローマ帝国の)」と認識していたというのも
なるほどねえ、と面白かった。

 講演会自体は、ちょっと残念な感じのところもあったけれど、
また、関連する本とか読んでみようかなとインセンティブになった。
やれやれ。まだまだ私の「読書の秋」は続きそう…。

**********************
 B大学同窓会の11月の会合は、上野駅近くのファミレスで。
人数が減ってしまったことを心配した幹事の一人のSさんが、
たまたま講演会に来ていた学生のグループに声をかけて、
誘ってしまう。
 1人2人だと思った学生は、7人のグループだった!
しかも聞いてみると、トルコとは特に関係のないサークル活動の集まりだとか…。
みんな18、19の子たち。やれやれ…。
 その上、そんな大人数で突然ファミレスに行ったら、当然席がないと言われる…。
無理やり近くのテーブルに別れて座る。
学生さんたちとは言葉が通じないメンバーも…。

 注文一つにも、あらかじめ予約してあったセットメニューと、
その場でアラカルトで頼みたいという一部の学生の人もいて
もうぐちゃぐちゃ。
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 やれやれ…。
次回の会合は、もうちょっと本来の同窓会活動らしくなるといいのだけど…。
寒くなってくると、どうしても活動が鈍くなってくるのは仕方がないのかも。
<今日のプライベート充実度70%>

 
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by makikoai2005 | 2010-11-14 22:14 | 催し物 | Trackback | Comments(4)
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Commented by bizim at 2010-11-14 23:21 x
興味深いお話ですね。
ハレムの住人の誤解は、日本で言うと芸妓さんを娼婦のように解釈している外国人が多いみたいな感じなんでしょうか。(芸妓さんも唄やおどりや、沢山の芸を身につけなくてはないらいですものね)

でも、そのような場でちょっと場違いな質問が出てしまうとこちらがちょっと苦しくなってしまいますよね(^^;。申し訳ないというか・・・。
Commented by makikoai2005 at 2010-11-15 00:14
bizimさん
そうなんです。結構面白いところもありました。
確かに、芸妓さんの世界というのも深いそうですね。売春とかって勘違いしてしまっている人もいるみたいですが…。
 以前、オルハン・パムックが日本に来て講演会があったときも(国際交流基金か何かのプログラムだったような…。)、聴衆からへんてこな質問が出て、「あちゃ~っ」という感じでした(通訳の人が気の毒だった…。笑)。
Commented by Kiyoko-hongkong at 2010-11-15 16:52 x
オスマン史って膨大すぎてどこから理解していいかよく分からないのですが(多分どの帝国史もそうなのかも・・・マイナーな地方史しかちゃんと勉強したことなく、その理解もあやふやな私です)、そんな第一人者の方が一般聴衆にもお話をしてくださるなんてすごい機会&話す準備大変だったでしょうね。

うーんそんな質問が出たなんて>< 招聘者(日本側)もかなり冷や汗だったでしょうね。観光客(レベル)だとしても、せめてトルコに関してポジティブな質問ならよかったのに・・・
Commented by makikoai2005 at 2010-11-16 00:36
kyoko-hongkongさん
歴史の勉強は大変だと思います。特に古い時代のものは。そもそも歴史を勉強するには、何か国も語学を習得しなければならないでしょうし(少なくとも読めなければならないでしょうし)。
 でも、昨日の講演会はそれなりに面白かったです。
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